不安について

 

 

 

様々な出来事の積み重ねによって、私たちは、不安にかられることが良くあります

今より、不安材料が軽減されたなら、あなたは、より幸福引き寄せることが出来ます

 

不安について、私の、知っていることをシェアしたいと思います。

 

これまで、不安を抱えたことのない方は、このブログをスルーして戴ければと思います。

最初に、不安とは何かについてご説明し、最後に、不安軽減をさせる方法を御説明致します。

不安(anxiety, uneasiness)とは、心配に思ったり、恐怖を感じたりすることです。

または恐怖とも期待ともつかない、何か漠然として気味の悪い心的状態や、よくないことが起こるのではないかという感覚(予期不安)です。

「日常における例」を取り上げて、ご説明致します。

何かをするときに「成功しないのでは」「自信がない」というときに、私たちは、次のように考えます。

  1. 明日の取引は成功するだろうか
  2. 明後日の試合で勝てるだろうか
  3. スピーチをうまくできるだろうか

他に病気のときなど、身体に異常のあるときなどに考えやすいでものす。

高熱を出したりすると死ぬのではなどと想像するのも不安に思っている状態です。

人は不安を感じると無意識に自分の体を触ってしまいます。これを自己タッチといいます。

次に「パニック障害における不安」について、説明いたします。

パニック障害になっていると、精神的な問題で過呼吸に陥ったり心悸亢進が起こったり、あるいは体がゆれている感じがしたりすると同時に、「死ぬのでは」「次は大丈夫だろうか」というような強い不安に襲われます。

これは、精神疾患として扱われ、治療を要します

現在では薬物による治療が主流となっており、一定の効果を上げていますが、発症初期に正しい治療を施さないと治りにくくなる特性があります。

広場恐怖やうつ病に移行するケースが多くなります。

次に、「不安と抑圧」について説明致します。

いわゆる精神分析において、神経症(ノイローゼ)を発症するメカニズムが不安と抑圧の関連にあるとされています。

精神分析の祖であるフロイトは神経症患者の臨床から、生殖行為の障害により神経症が発症することをつきとめ、その際不安がその性欲の抑圧に何らかの影響を与えていると仮定しました。

抑圧とは性欲の表出を妨げる機能障害であり、そしてそのような欲動がさらけ出されることにより社会的な適応妨げられることを防ぐ防衛機制でもあります。

フロイト自身のその両者の関係についての仮定は前期・後期とで大きな違いがあります。

前期においては、もっぱら性欲(リビドー)を一種の生命力(エネルギー)と捉え、生殖行為が何らかの事情・理由で正常になされなかった場合、その際消費されるはずであった性欲解消されることなく無意識の内に蓄えられ、そのような充足されず変質させられたエネルギーが不安として表出されるというものでした。

前期の方向性は科学・生理学的性格が強く、またこのような性欲についてのエネルギー転換・代償行動をフロイトが「経済的」と呼ぶのも、不安をこれらのエネルギー転換の際の等価である交換物とみなしているからです。

後に彼は自らの説を修正し、「抑圧が不安を引き起こす」を、「不安が抑圧を引き起こす」と捉えなおしました。後期においては「社会的な禁令」(タブー)や「禁令を命じるもの」(超自我)といった新たな要素が関わっていきます。

それによると、我々の言う「良心」や「理性」といったものは、我々の社会生活上において不適当と想定されている人間の欲動(主に性欲)の表出を抑えるため、我々自身の内に内在化された社会的な禁令であり、それが<超自我>と呼ばれています。

我々が上記のような欲動に駆られた際、それを抑えようとする超自我との葛藤(コンフリクト)を恐れ、この葛藤を解消するために不安という「危険信号」を自我が発することにより欲動が挫折させられるといいます。

このように不安が自我の発する「心的状態」として捉えなおされたことにより、前期に比べてより心理学的性格が強くなったと言えます。

次に、「哲学と不安」について説明致します。

主に実存哲学及び実存主義において取り上げられることが多いです。

先駆的著作としてキルケゴールの著作『不安の概念』があります。

彼は著作中に不安について「反感的共感であり、共感的反感である」とし、不安とは「恐れているものに心惹かれている」ことであると表現しています。

彼はキリスト教的思想家であるため、不安は人間の罪とともに現れ、そしてその罪がまた新たな不安を引き起こすとして、最終的にはキリスト教の神への信仰へと向かうその時の人間の心的状態であるとしました。

彼は「不安の研究」を「人間の罪における心的状態の心理学的研究」であるとして、無垢であるはずの人間が罪を犯すこと、そして罪を背負った人間が神の救済に対すること、それら両者の前者から後者へと移行する際の心的状態・中間段階が不安であるとしました。

具体的に、不安に駆られる「原因」を私たちが、自覚していたなら、不安を取り去ることは比較的、容易にできるものと、私は、考えます。

 

「不安除去の手順」について説明致します。

  1. 自覚している不安を全て列挙します。
  2. 列挙された不安項目を整理します。
  3. それらの項目に照らして、問題解決をはかります。

以上の手順を踏んで改善するのです。

 

「問題解決の方法について」は、別途、他の動画で詳しく御説明致します。

皆さんは、その動画をご覧戴き、「不安」に着目して上記の手順を踏めば、自らの力改善出来るものと考えます。

 

本日は、以上となります。

 

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