月別アーカイブ: 2017年10月

起業の勧め

もっと、若い時から起業すれば良かったと思っています。

人から束縛されず、自分の思い通りに過ごせていたら。。。

働いたら、働いただけの報酬が自分の元にやってくるのですから。

 

しかし、こうも思います。

会社組織で積み上げた実績があって、やっと今の自分があるのだという思いです。

だから、若くして会社を興そうと考えている方々に対して、今言えるアドバイスは、

会社員のうちに、可能な限り会社で勉強させて戴くことです。

給料を戴きながら、知識も増やします。

会社を立ち上げた後に、それを実施すると資産を減らしながら、知識を増やすことなります。

どちらが得でしょうか?

もしかすると、今の会社の業務とは関係のない勉強が必要なこともあります。しかし、そこは、自分の知恵で、うまく立ち回って、わからないように勉強しちゃえばいいのです。

会社を立ち上げてから、勉強するのは遅いです。

十分すぎるくらいの知識を持って、会社を立ち上げたとしても、あっちからもこっちからも試練は訪れてきます。

自分だけの生活なら、失敗したとしても自業自得と諦めきれますが、自分を頼ってくる人がいたとしたら、死活問題に発展します。

家庭崩壊します。

あなたが、作ろうと思っている会社が利益を生み出すまで、何か月かかるでしょうか?

絶対の自信があっても、自分の思い通りには運びません。

何故なら、あなただけで完結する話ではなく、様々な思惑を持った、他人が関わってくるからです。

 

利益を生み出すまでの体力(資力のこと)は、ありますか?

社員を抱え、経費もかかり自分は無収入だったとして、どれくらいの期間を賄えますか?

一度の人生で大事なことは、最愛の方と共に喜び、人生を謳歌することです。

間違っても収入を得ることを最優先してしまうのは、本末転倒です。

 

良くある話ですが、マイホームを持つことが夢だったとします。

爪の先に灯をともす生活を続け、やっと持つことが出来たマイホームでも、そこに楽しい会話、楽しい団らんが無かったとしたら、これって不幸の何物でもありません。

自分が今求めているものが、幸せに続くものなのか慎重に考える必要があります。

幼児期の教え

「三つ子の魂百まで」という言葉があります。

幼年期の私たちを取り巻く世間は、とても狭いものです。

一般的には、親、親戚、近所のおじさん、おばさん。

こんな程度です。

この方々、悪気はまったくないのですが、私たちにたくさんの刷り込みをしてくれます。

この中には、正しい教えもありますが、間違った教えも含まれています。

社会人となった私たちは、幼児期に刷り込まれた情報を頑なに信じ込み、それに支配されていることがあります。

例えば、「男」だから、「女」だから、~してはいけない。~しなければいけません。

私たちの脳は、かなり大着に出来ています。

とっさの判断を求められた時に、即座に行動しないといけない場合に、これらの情報は有効です。

論理的に物事を考えることなく、判断できれば、楽です。

この時、私たちは、刷り込み情報に支配されます。

親が言ったことなので、絶対に正しい。

大好きなおばあちゃんから聞かされた話だから、嘘は無い筈。

しかし、時には、こうした情報は、果たして正しいものなのか、冷静に検証してみる必要があります。

私の身に起きた出来事で説明いたします。

子供の頃、家族でスイカを食べていました。

(私)「この種、蒔いたら又、スイカ出来るよね!」

(親)「一度食卓に上がった野菜や果物からは、作物はできないのよ。」

私は、この事を大人になるまで、そういうものだと信じ込まされてきました。

悪意のある発言ではないと思いますが。。。

真実を知っている人からすれば、長い間、ずっと間違った知識を植え付けられていたわけです。

子供は、植物の種を植えて、その成長を観察する機会を失いました。

子供は、何気ない親の一言に長い間、支配されてきました。

本人が、一度そう信じたり、そういうものだと理解すると、脳は即断即決の為にこれまでの経験則から結果を出します。

自分にとって、疑問に感じたり、不本意に感じる出来事に対し、いつまでもこの呪縛に囚われていたとしたら。。。

本来、自分の為にあるべき人生が狭い視野でしか、味わうことができなくなってしまいます。

元来、疑問に思ったことは、自分で試したがる私は、こんなことをしたことがあります。

学校の教科書を何気なく足で踏みつけてしまった時、親から

(親)「教科書を足で踏むと、脚が曲がってしまうよ」

(私)・・・・・・・・。

私は、親がいない時、トイレに教科書を持ち込み、もしかしたら、脚が曲がってしまうことを恐れながら。。。

気が済むまで、教科書を足で踏みつけてみました。

そのようなことは、決して起きませんでした。

皆さんにも大なり小なり、悪気のない教えの中に、真実からかけ離れた、教えもあるんだということを、考えてみる必要があると思います。